能登地震レポート 地震発生から3週間。スタッフが見た課題と希望
- コラム
こんにちは!パルシックの風間です。今回は令和6年能登半島地震対応で約2週間活動した中で、見たことや感じたことを日記のように書いていこうと思います。
もしかして、パルシックの支援者の方のなかには、「『パルシックの風間』って、レバノン事務所にいなかったっけ?」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。実は私、2019年から2023年にかけ4年間レバノン事務所に在籍していましたが、2023年秋に一旦退職し、多拠点居住のサブスクサービスを活用し、日本国内を転々としていました。地震が起きた2024年1月1日は、実家のある石川県の加賀地方に帰省中でした。
経験したことのないような大きな揺れを感じ、ニュースでは津波を伴う大きな被害が能登地方で報告され、また継続的な地震アラームと余震があり、その度に家の外などの安全な場所に避難する、という心が休まらない状況がしばらく続きました。そんな時、「能登地震対応チームに加わらないか」というパルシックからの連絡を受け、1月6日、パルシックスタッフとして被災地に入ることになりました。
被災地に入り気づいたこと
ハード面での課題
- 私たちが入った能登町、珠洲市、輪島市では、道路が波打っている、大きなひびが入っている、橋桁がずれている、土砂崩れでふさがれる、または崩落している、といった被害が至る所で見られます。地中にある上下水道の管も破断してると見られます。
- 能登には古くからある大きな家屋が多いのですが、外見から明らかに全壊・半壊しているものが多く、一見大丈夫そうに見える建物も、実は傾いていたり、扉が開閉できなかったり、物が散乱していて、高齢化率が50%前後の被災地域では、片づけることも難しい状況です。
- 水道はほぼ全ての地域で止まっています。水が無ければ、のどの渇きを潤すことも、食事を作ることもできず、手も顔も洗えず、風呂にも入れず、皿を洗うことも、洗濯もできず、トイレも流せません。2、3か月は水道が回復しないと言われており、給水車やボトルの水、自衛隊が提供する風呂に頼るしかない状況です。
- 電気やインターネットは、地震発生当初は断線が続いていましたが、1月19日時点で徐々に回復しつつある印象です。
- 水道、電気、インターネット、土木等の関係の車両が全国から能登に結集して復旧にあたっており、状況は徐々に改善しています。
Before: 能登町バイパス中央信号付近(1月12日撮影)
After: 能登町バイパス中央信号付近(1月17日撮影)
こうした広範なインフラの破壊は、「半島」という地形(アクセスが金沢市方面からに限られ、その金沢市から能登半島の先端まで約150kmもある。東京駅から栃木県の那須塩原の距離とほぼ同じ)も相まって、支援のための人員や物資を輸送することの障害にもなっています。
ソフト面での課題
- 避難所の住環境の悪さ:発災から2週間以上たっても体育館や教室にベッドが無く、薄いマットに布団を敷いているだけで、プライベートを確保するための仕切りも無い状態の避難所が多く見られました。慣れない環境で寒さに晒され、布団に座っているばかりの高齢者の方々(ベッドであれば立つ/座るの動作が楽になる)を見ました。高齢者の方々がそのような場所に留め置かれることによる健康へのリスクは高く、災害関連死にも繋がります。
厳しい避難所の環境
- 子どもの居場所がない: 余震を考えると、自宅は倒壊の恐れがあったり、外に出ても傾いた建物が多かったりするため、子どもにとって安全に遊べる場所がありません。多くの人が身を寄せ合っている避難所は、皆が寝ていたり、たくさんの物資が置いてあったりするのと、そもそも子どもを見守る人がおらず、子どもたちが安全に自由に遊べる場としては適切とは言えません。保育園や学童、学校は、再開されるところも出てきましたが、発災後3週間程度は閉鎖されたままでした。子どもを預ける場所がないと、役場の職員も含め、働きに出ることが難しくなってしまい、災害対応にも影響します。
- 栄養バランスの悪い食事:基本的に発災後に被災地に届く食糧物資は、保存の難しい生鮮食品ではなく、カップ麺や菓子パンといった保存・輸送が容易で、すぐに食べることができ、とにかく生き延びることに重点がおかれた物資多くなります。そうした食べ物は、若く健康な人にとっても1週間も続けば口内炎ができたり、胃がもたれたりしますし、糖尿病や高血圧といった慢性病をもつ高齢者にとっては健康上、大きなリスクをもたらします。
- 避難所にいる避難者とそれ以外の被災者(在宅や車中泊の被災者)の分断:その避難所の避難者ではない被災者が、避難所の物資を受け取りに行って断られた、という話をよく聞きました。基本的に支援物資は公式の避難所に輸送され、避難所で避難者に配布されます。被災地ではやむを得ない事情で避難所に避難しない人もたくさんいますし、特に発災直後は店も開かないため、在宅避難者等の方々も物資を必要としています。避難所の避難者と在宅等の被災者の間に、無くてもよいはずの分断・距離が生まれてしまうのは、今後の地域の復興のプロセスにとって良いものとは言えません。
ポジティブな面
- 石川県には、全国から多くのNGOスタッフが集まり、災害対応の活動をしています。こうした人たち・団体は、災害が発生するたびに参集し、専門性を生かして災害対応に当たっており、お互いに顔見知りである場合も多いです。国や都道府県の職員だけではカバーしきれないものを、こうしたNGOが行っていることも改めて認識することができました。例えば、発災直後に救助隊を派遣する団体、不足する物資のニーズを察知し迅速に調達して物資を届ける団体、子どもの居場所の提供や心のケアを行う団体、炊き出しをして栄養のある温かい食事を提供する団体、多数の団体が活動を行う中で支援が重複せず均等にいきわたるように調整しようとする団体等々。行政や企業だけが社会における主要なアクターなのではなく、NGOなどの民間の非営利組織(Civil Society)も社会・公共にとって不可欠な存在なのです(NGOスタッフが「無給のボランティアさん」ではなく、専門性をもって仕事として行っているということが、日本でもっと認知されたら、とも感じました)。
- 2週間の活動を通して、石川に住む魅力的な人たちにもお会いすることができました。入院中の病床から震災対応にあたる役場職員、分厚い災害ケースマネジメントの本を読んで個人で支援活動を始めた能登への移住者、縫製のスキルを生かして自身のアパレルブランドを立ち上げたお坊さん、子どもたちに自然を体験してもらいたいと広大な休耕田と山・小川を自力で整備した人、とにかく人に喜んでもらうのが大好きでピザハウスまで作ってしまった農家民宿のご主人、在宅避難者が物資を受け取れる場所を作り、全国から物資を集めてくるコーヒーショップの社長さんと婦人服店の方などなど。
- 避難所で行ったパルシックのカフェ(コーヒーの提供)は、被災者の方や支援活動を行う地元・県外スタッフの方たちからもおおむね好意的に受け入れられたと感じています。パルシックの東ティモールのコーヒーやスリランカの紅茶をその場で淹れ、「関西よつ葉連絡会ひこばえ」さんからいただいたおいしいお菓子を一緒に提供しました。地震で一変した生活が続く中で、短い時間ではありますが、ホッとする時間、またリラックスしておしゃべりする場になったのであればうれしいなと思っています。
パルシックのコーヒーや紅茶に加え、日ごろパルシックとお付き合いのある企業・団体様から送っていただいた焼き菓子なども一緒に提供しました
カフェの活動では、避難所にいる方たちが自発的にサポートして下さいました。被災した状況下で、誰かのために自分にできることをやりたいという強い気持ちを持った方、その方のお誘いで加わった友人姉妹、そして偶然通りかかったコーヒーに詳しい方。最終的にはこの4人でカフェを運営してくださり、私を含むパルシックスタッフはそれを見守るだけ、というような状況に。地元の人たちの何かしたいという気持ちや能力(レジリエンス)を阻害せず、それを生かし、地域が自立的に持続的に復興・発展するような活動を心掛けたいと改めて感じました。
カフェを手伝ってくださった4人のメンバーと(右端は筆者)
最後に
私は高校卒業後に東京に出て、人生の約半分を石川県外で過ごしてきました。今回の活動で、今までにないほど長く石川に滞在し、沢山の人びとに接し、人間関係の在り方に都市とは異なる何か(気取らない/より自然な/隣近所で支えあう/等)を感じ、都市ではありえない自立的な生活を営む人びとの強さ(米や野菜を自分で作り、水道ではなく山から水を引き、コミュニティの中で物を融通し助け合い、外部とのつながりが途切れても一定期間自活できる)を感じました。
一方、既に平均以上に高齢化・過疎化が進む能登で、今回の地震は、それが進むスピードをさらに早めてしまう可能性を危惧しています。地震は、漁業や農業、伝統工芸産業、観光業や飲食業に対し、復活までに大きなコストと時間のかかるダメージを与えました。
今後数年間、被災地はインフラ再整備等の「復興需要」で一時的には潤う産業はあるかもしれません。しかし、その後にどれだけの人が能登に残り、また能登に戻って働き生活できるようになるのか。そのようになるためには、誰がそれぞれ何をすべきなのか。
「能登はやさしや土までも」と言われる能登。復興には、インフラ(ハード)を作り上げただけでは不十分であり、コミュニティや伝統工芸や農業・漁業、食、景観といった文化、人柄といった人の営みや空気感を次の世代に受け継ぎつつ、人びとが幸せに持続的に生活していけるような地域づくりが必要と考えます。地域の人々のレジリエンス(回復力)を阻害せず、地域の人々による、地域の人々のための復興に、パルシック、また私個人としてとして今後どのように関わっていくべきなのか、考え、行動していきたいです。
能登の内浦からは、海の上に富山県の立山連峰が見える。右下にはひっくり返ったボートが
(風間満)
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