[開催報告]パレスチナ緊急集会(第1部)
- コラム
2023年11月2日夜に、「ガザの声~ビデオメッセージから、市民社会ができることを考える~」と題した緊急オンライン・イベントを開催し、ガザの現状の報告、ガザで暮らすスタッフの声、およびその背景事情についてお話し、皆さんとの質疑応答の時間を持ちました。
本イベントの内容をご報告します。
前半の第1部では、パルシックのガザ事務所スタッフ置かれている状況、スタッフから届いた声を中心にご報告しました。最初にスタッフの一人ユセフからの声を紹介します。
この動画を送ってくれた時点から日数が経ち、日に日に状況は悪化しています。後ほど、他のスタッフの声もお届けしますが、まずはガザの基本的な情報をお伝えします。
1. ガザ地区について
ガザ地区は、東京23区の6割ほどの面積(365平方キロ)ですが、約230万人(人口の半数が18才以下)が暮らしています。2007年からイスラエルに軍事封鎖をされており、ガザの人たちはイスラエル軍からの許可が得られなければ、外に出られない状況にあります。ガザ地区内に難民キャンプは8か所あり、170万人がそこに暮らしています。
2.これまでのイスラエル軍との衝突
2023年11月2日現在、これまでにない非常に大きな戦争が続いていますが、軍事封鎖されてから今日に至るまで既に5回の大きな衝突がイスラエル軍とガザ側で起きています(2008年、2009年、2012年、2014年、2021年)。
その中でも2014年に51日間にわたる大きな戦争が勃発し多数の被災者が出ましたので、パルシックは2014年9月から緊急支援を開始し、その後は復興支援などの事業を続けてきました。
2018年から現在までは、生計向上を目指してたガザ南部における畜産・酪農支援を行っています。戦争開始直前の10月3日には、羊を配付したところで、羊農家の皆さんはこれから羊を育てていこう意気込んでいるところでした。
ガザの人びとは、この戦争が始まる前から復興しては破壊され、また復興を目指して、この繰り返しで懸命にたくましく生きてこられていました。しかし、羊を配付した4日後の10月7日に抵抗勢力ハマスらによる奇襲攻撃を発端にこの大規模な戦争が始まりました。
11月2日時点のガザ側の死者数は約9,000人、イスラエル側の死者数は約1,400人、ハマスに拘束された人質の数は約230人と報道されています。しかし、現在もガザでは瓦礫の中に埋まっている人がたくさんいると聞いていますので、実際にはそれ以上の死者数がいると想像されます。
11月2日現在、ガザ全域に渡る非常に激しい空爆が昼夜問わず続いています。特に、空爆だけでなく、海上からの砲撃や地上からも攻撃が続いています。さらに、この戦争開始直後からライフラインがイスラエルによって遮断され、ガザの一般市民約230万人は想像を絶する極限状態を超えた非常に困難な状況におかれています。もちろん軍事封鎖されていますので、逃げ場はどこにもありません。
11月2日現在、ガザにいる6名の現地スタッフは、これまで幸い無事を確認できています。ガザの6人から聞き取った、ガザの人びとの現在の生活状況をまとめました。以下の表にある通り、一家に数十人から百人ほどの人が身を寄せ合い、医療は崩壊寸前、食糧の確保は困難、食糧を買いに行く道中も危険、ガスや電気もなくて調理ができず自家発電でどうにか対応している人や、数日食べていない人もいます。また水もなく、飲み水の確保だけでなく、トイレや食器洗い用の水もありません。
既に極限状態にありますが、イスラエル軍はガザ北部の住民110万人に24時間以内に南部へ退避するよう勧告を出し、さらに退避勧告後に南部への空爆も続いていますので、ガザの大半の方が避難をしている、あるいは住居を失っている状態です。
そのような過酷な状況下でガザに暮らす現地スタッフ6人の声をお伝えします。
戦争開始直後には、プロジェクト・マネージャーのサハルから「私たちはこれまで何度も戦争を経験してきたので(悲しいが)慣れている。ただ今回は長引きそう」と連絡がありました。戦争の長期化を心配し、買いだめに行ったり、早々に南部に避難したりした人も多くいたと聞いています。他のスタッフからは、「生き延びるから大丈夫」、「“This is our destiny” (これは私たちガザの人たちの宿命だから)」という声を聞きましたが、私はガザの人びとがこの状況を宿命と諦めざるをえないこと、このような積年の苦しみや不平等に非常に残念な想いを感じています。また、戦争開始直後から「あまりの恐怖から、子どもたちの異常行動がみられる」とも聞いています。
10月7日以降も戦争が続いている中で、プロジェクト・コーディネーターのシャディはガザ市の自宅からハンユニスの両親の家に避難して暮らしており、「我々はハマスではない、とにかく空爆を止めて欲しい。」と訴えています。
フィールド・コーディネーターのユセフは、10月末に結婚を予定しており、10月7日以前にうれしそうに結婚の準備を進めていたことを覚えています。しかし、突然このような状況になり、「爆弾が雨のように降り続けている」中で、恐怖に震える姪っ子たちを落ち着かせるために遊んであげたり、家族の世話をしたりして過ごしているそうです。戦争8日目には、「自宅の前にバスがあったので、居ても立っても居られず弟と乗り込みました。急いでガザ市に向かい、退避を希望している60人をバスに乗せてハンユニスに戻りました。道中、たくさんの死体を見て、空爆も近くでありました。移動手段がなくて、歩きで北から逃げている人たちがたくさんいました。今、私の家には100人います。」と、自らも大変ななか、居てもたっても居られなくなって、退避希望者を南部へ移動させる手伝いをしました。
畜産専門家のマフムードからは、「これは戦争ではない、虐殺だ。多くの民間人が瓦礫の下で埋もれている。警告なしで住宅や住民の上に爆弾が投下されている。ガザ全体が破壊の恐怖で覆われている。もう地を這うことすらできない。」という悲痛な声も届いています。
サハルは戦争開始直後には「私はこれまでの人生で懸命に生きてきた。私は自分が死ぬことは恐れていない。ただ孫や子どもが殺されることは、絶対に許せない」と話していました。しかし、戦争15日目には無差別空爆により彼女の自宅近くが爆撃され、自宅の窓が吹き飛び、被害を受け、近くの親せき宅に避難をせざるをえなくなりました。「爆音、爆風、恐怖で飛び上がって、体の震えが止まらず、靴も履かずに孫たちは飛び出した」とその時の様子を教えてくれました。さらに、その後親友やその家族、自身の兄弟を亡くし、「一日中泣いていた」と。戦争23日目には、「まだ自分はかろうじて生きている。誰もこのような戦争は望んでいなかった。完全に無差別な市民の殺害(空爆)を今すぐ止めるべきです。」とサハルは訴えていました。
プロジェクト・コーディネーターのタグリードからは、「朝から仮眠しかとれない」、「子ども3人も含めて、自分たちが死んだ後の家や資材の相続の話をした」、「水がなく、多くの人がシャワーを長らく浴びられておらず、異臭がする」、「昼夜問わず空爆が続き、爆音・振動・泣き叫ぶ声・救急車の音で外はカオス状態」、「近くの国連機関の学校には1,000人以上が避難し、声も臭いも強烈になっている」と聞いています。
「私たちは国際社会に見捨てられて、何度も戦争を経験しました。即時停戦を切望していますが、イスラエルや国際社会が私たちを家畜以下だと思っていることが本当に言葉にならないです。私たちはただの数なのです。」「パレスチナ人はみなテロリストだと思われています。悲しみと怒りでいっぱいです。」と、タグリードは深い悲しみと憤りの中で悲痛の想いを伝えてくれました。
最後にスタッフの一人シャディの声を紹介します。
最後に、誰もこんな戦争を望んでいなかったですし、一秒でも早く戦争が終わることを望んでいます。ガザのスタッフが言っているとおり、ガザの人びとは「国際社会から見捨てられた状態」にあり、私たちは今この瞬間も何もできないことに憤りを感じています。一秒でも早くこの戦争を終わらせる必要があります。これ以上の民間の人びとが犠牲にならないためには日本の多くの方々に関心をもっていただき、正しい情報を拡散していただきたいと思っています。「日本は何をしてくれるのか?」とガザの人びとは日本の対応に期待をしています。その期待を裏切らないように、できることをしていきたいと思っています。