サハルの冒険1 旅の準備は何から?<後編>
- コラム
救世主は意外なところにいた。
今年60歳を迎えた西岸事業の農業専門家・サーデクだ。サハルよりも早い日程で日本へ出発する予定で、もちろん彼もビザを取る必要がある。
西岸地区の検問所の通行規定にも例外がある。それが「男性なら60歳以上、女性なら55歳以上の場合」だ。これに当てはまるパレスチナ人は「許可証」がなくても検問所を通ることができる。だから、金曜日のラマッラー発エルサレム行きのバスには、アル・アクサモスクへ向かうおじさん、おばさん、おじいちゃん、おばあちゃんがいつもぎゅうぎゅう詰めになっている。
「サハルのビザも一緒に申請してきてほしいのだけど……」
と頼むとサーデクは快くOKしてくれた。テルアビブは遠いが、大使館での申請は時間予約制。渋滞や検問所の通過に時間がかかることを考えると、かなり早めに出発しなければならない。アラブ世界は比較的時間にルーズだが、日本人にそれは通用しないので、スムーズに到着できた場合は待ち時間が長くなるだろうと思うと少々申し訳ない。
「ついでにテルアビブで魚を食べてくるよ」
とサーデクが言う。ヨルダン川西岸地区には海がない。
テルアビブのビーチ
イスラエルで陸揚げされた地中海の海の幸
さて、テルアビブに行く前に、申請書類の準備だ。必要書類を、念のため在イスラエル日本大使館に問い合わせた。パレスチナ人を日本に招聘する場合、必要な書類は2タイプある。申請者、すなわちサハルやパレスチナ事務所が準備しなければならない書類と、招聘者(日本側)、すなわちパルシックの東京事務局が準備しなければならない書類だ。パレスチナ側で準備する書類はパスポート、ビザ申請書、写真、フライトスケジュール、ホテル予約書、在職証明書、IDカードの写しなど。日本から用意する書類は、身元保証書、招聘理由書、滞在予定表、法人登記簿謄本などだ。これらは原本を大使館に提出する必要があるから、サハルの作る書類はガザ事務所から、東京事務局の書類は東京から郵送してもらわなければならない。
ところで、イスラエル・パレスチナの郵便事情はとても悪い。今までにも日本や他の国から送付されて手元まで届かず、どこともしれぬ場所をいまだにさ迷っているらしき年賀状や小包が数個ある。暑中見舞いの時期にクリスマスカードが届いたこともあった。そしてさらに間が悪いことに、この時パレスチナではちょうどイード休みが刻一刻と近づいていた。
犠牲祭前になると駄菓子屋さんも羊だらけに
イードとは、パレスチナでは1年で最も長い祝日だ。ラマダン(断食月)明けの祝祭イード・アルフィトルと、ハッジ(メッカ巡礼)後のお祝いであるイード・アルアドハ(犠牲祭)の2種類あり、短い年で3日、週末などとくっついて長くなる時は1週間くらいになることもある。イスラームの祭日は太陰暦であるイスラーム暦に従っているから、太陽暦である通常の暦の上では毎年約10日ずつ前倒しになっていく。そのため今年のイード・アルフィトルは6月14日~16日、イード・アルアドハは8月21日~23日に前夜祭と週末がくっついて9日間の大型連休となっていた。
日本の常識は、パレスチナの非常識。もちろん休暇期間に入ってしまえば、ほとんどの店やオフィスは完全に閉まるし、サービスも止まる。サーデクの出発は9月初旬を予定していたが、大使館でのビザ発給業務は申請してから5~10営業日程度を見込んでください、と言われていた。なかなかの綱渡りだ。大急ぎで書類を作成し、イード1週間前にガザ事務所、東京事務局それぞれから発送した旨の連絡をもらった。
通常の郵便を使うと、ラマッラー–ガザ間ですら1カ月もかかるので、大切な書類はDHLやAramex、FedExなど、少々お高いがドアツードアの国際宅配サービスを使う。
「無事、書類発送しましたよ~」
という東京からのメールにほっとしたのもつかの間。
「いまDHLからお電話があって、郵便番号がないと宅配できないと言われたのですが……」
郵便番号も書かないとはなんて凡ミス、と言われる前に弁解する。パレスチナの住所はひどく曖昧だ。番地があるところもあるが、大抵の住所は「xxx通り、男子中学校前」「ラマッラー、○○ビル3階」「△△広場近く、モスクの隣」、これだけだ。こちらのコミュニティ内では住民同士の距離感が近く、誰がどこに住んでいるといった情報はほとんど筒抜けだからかもしれない。あとは念のため電話番号を添えておくと大抵届く。
といった説明でDHLの人が納得してくれたのか、東京のスタッフが力技で丸め込んだのかはわからないが、とにかく翌日書類は発送され、イード直前の火曜日にはこちらに着く段取りとなった。イードが始まるのはその週の金曜日からだから、大使館訪問を水曜日か木曜日に入れてもぎりぎり間に合う、と思ったものの、気づけばとうに火曜日、待てども暮らせども書類が来ない。トラッキングを確認すると、いま中国にいるという。見れば、到着予定日はいつの間にか木曜日になっている……。結局大使館への書類提出はイードのさなかである8月20日に延期となった。幸い、イスラエルの祝日カレンダーに従っている在イスラエル大使館はイード中でも開館している。
結局、ガザ地区からの書類の到着も遅れ、イード中でパルシックの事務所も閉まっていたため受け取りですったもんだがあった挙句、サーデクの住む村を通るという都市間乗り合いタクシー(セルヴィス)のドライバーに申請書類一式を託した。郵便局の郵送サービスは何日かかるかわからないが、セルヴィスなら毎日走っている。相手の電話番号さえわかれば、村に立ち寄って届けてくれるから、なんだかんだで、西岸地区内の宅配サービスでは一番早くて確実だったりする。
そうして無事サーデクの手元まで届いた書類は、その後大使館に提出された。それから待つこと数日。ビザが出たかどうか、どうやって確認するのかわからないまま、電話でもかかってくるのだろうかと余裕ぶっていたが、13日目(10営業日後)の金曜日、まだビザが出ていないのであればいよいよやばい、と焦って大使館に電話をかけてみた。
「確認しますね」
と言われて待つことしばし、
「あ、お二人ともビザ出ていますよ~」
「え!?ええと、え?出てますか?二人とも?あ、ありがとうございます!」
そんなわけで、週明けにサーデクがあわてて大使館まで取りに行く。サーデクの日本渡航まで5日を切っていた。
(パレスチナ事務所 盛田)