新型コロナウィルス 東ティモールの状況ーCOVID-19 医療後進国東ティモールの対応ー
- コラム
1月に中国武漢市で新型コロナウィルス感染症(COVID-19)が蔓延し始めた頃、東ティモールもその成り行きに注目しつつ、新正月を親族と祝うために中国へ戻っていた在留華人が病気を持って東ティモールに帰ってくるのではないか、と恐々としていました。同時に、武漢には数名の東ティモール国防軍兵士と東ティモール人留学生とが滞在しており、彼らをどう帰還させるか、帰還させた後どう対処するか、というところからこの国のコロナウィルス対応が始まったことは、日本をはじめ他のどの国とも同じだったと思います。
面積1万4000平方キロメートル、人口120万人程度の小さな島国、東ティモールにとって、COVID-19は大きな脅威です。それは感染者の数が増えたら医療崩壊、とかいう以前に、ウィルスがひとたび市中感染を起こし始めたら公衆衛生の概念の薄いこの国ではあっという間に蔓延することが容易に想像できるからです。
それでも、隣国インドネシアで3月2日に初の陽性確認例が出るまでは、どこか対岸の火事であったことは否めません。国防軍兵士が武漢から一足先に帰国し、国立病院の10床ほどの隔離病棟が彼らのためにあてがわれ、世界保健機構(WHO)やオーストラリア政府に協力を要請して検体をメルボルンにある感染症研究所へ輸送して検査するという手順を整え、陰性を確認しました。また、2月5日には、ニュージーランド政府が自国民と太平洋島しょ国の国民を武漢から退去させるために手配したチャーター機に17名の東ティモール人留学生も同乗させ、ニュージーランドで14日間の隔離生活をおくり、陰性であることを確認の上2月21日に全員を東ティモールへ送り返してくれました。東ティモール人はクリーンだ、しかし中国人は、という発想がこの辺りから生まれたように思います。病気の老人を連れて診察に訪れた東ティモール人の隣で同じく診察に訪れていた中国人がくしゃみをしたら殴られた、とか、ショッピングモールで発作を起こして倒れた中国人の動画を「コロナではないか」とフェイスブックに投稿して騒ぐ、など、普段からあまり親近感を覚えることのできない中国人への揶揄はCOVID-19を通じてエスカレートしていました。アジア系の顔つきをした外国人を見ると「コロナ、コロナ」と声をかけられるようにもなりました。
空港や西ティモールとの国境では1月末から体温測定と問診票への記入が義務付けられるようになってはいましたが、インドネシアはバリ島のデンパサールからの航空便は毎日2便が行き来していたし、陸路に至っては数えきれない人とモノの行き来が普通におこなわれていました。当時を振り返ってみると、3月2日にインドネシアで初の陽性者が確認された頃から、事態は急転しています。3月6日にはディリ在住のイタリア人がディリ市内の医療施設を受診して感染の疑いがもたれ、「初のコロナ患者か?!」と騒がれ、隔離病棟の場所選びで候補に挙がった地域の住民たちが抗議行動を起こしました(検査の結果は陰性)。「コロナ」というアジア系外国人へのからかいは、ごく一部のティモール人のおこないであるにしても、見た目や国籍を問わず外国人に向かって「さっさと国に帰れ」と石を投げるとか公共乗合自動車への乗車拒否とか、あからさまな拒否へと変化しました。
東ティモールはシンガポール、インドネシア(デンパサール)、オーストラリア(ダーウィン)と空の便で繋がり、陸路はティモール島の西半分、インドネシア領西ティモールと繋がっています。シンガポール便が3月15日には週2便を1便に減便すると発表し、3月20日にはデンパサール便を運航する航空会社2社がそれぞれ週7便を1便に減便すると発表するなど、帰国するならば今のうちに、という流れが一気に在留外国人の間に起きました。そして3月29日(日)のフライトを最後に、シンガポール便、デンパサール便ともに運休の決定が出ました(ダーウィン便は緊急医療搬送のみを継続)。この状況を「孤立状態」と報じた共同通信の記事がYahooニュースでトップ記事あがり、なんだか東ティモールは周辺諸国から断絶され孤立させられてしまったような印象を与えましたが、わたしはむしろ、次々と感染者数が増えていく近隣国、特にインドネシアとの門を早いところ閉めたかったのは東ティモールの側ではなかったか、と思っています。
そして3月21日、初の陽性者が確認されました。外国人でした。ほれ見たことか、と世論は過熱します。もう外国人への拒否反応どころではありません。ティモール島にウィルスが上陸したとあたかも自分の周りにウィルスが舞っているかのような感覚で、非常事態宣言も出ていないのに自発的に外出を避け、ディリ市内は一気に閑散としました。教育省はただちに全国一斉休校を発表し、ディリ司教がバチカンのローマ法王の決定として、復活祭に向けたミサに信徒は自宅から参加するように、と教会でのミサの禁止を発表しました。このころ、15名ほどのパルシックスタッフたちが、「一体いつになったら在宅勤務の指示を出してくれるのだろうか」という顔つきで毎日出勤していたのを思い出します。「コロナにかからないように神に祈るだけ」というスタッフたちに、「祈る前にその手を洗おう」と事務所前に手洗い場を設置して看板を立てたりしました。
3月28日、大統領が30日間の非常事態宣言を発令します。感染確認例たった1名での非常事態宣言です。政府は元保健大臣2名と現職の保健官僚の計3名を報道官に立てた「危機管理統合センター」をすばやく設置し、WHOなど国際機関のサポートを得ながら徹底した水際対策をおこないました。4月13日に西ティモールとの国境を通じた人の移動を禁止するまで東ティモール人の帰国を受け入れ、国境からディリまで政府が借り上げたバスで移送し、政府が借り上げたホテルで14日間隔離し、その間徹底して健康観察をおこない、その結果を毎日午後3時の記者会見で全国民に分かりやすく説明しました。4月10日以降、これら健康観察下にある東ティモール人の中から一人、二人と陽性確認例が発表されます。すると、国境からディリまで移送したバスの運転手や乗務員がその後、ディリ市内で乗客を集めて国境近くの町まで運び自宅に帰った、というような噂が出回ります。ある日の記者会見で、記者が「このバスが感染源になっているのでは」という質問を投げかけると、報道官は「バスの名前は?」「運転手の名前は?」と記者に質問を返し、政府借り上げバスが感染源になっているという噂をきっぱりと否定しました。こうした報道官の毅然とした態度は、東ティモールの人々に、状況は悪い方に進んでいるけれどもコントロールされている、という安心感を与えたと思います。
結局4月24日までに、健康観察下にあった人びとや陽性患者のケアに当たっていた医療関係者から合計で24名の陽性が確認されましたが、全員が軽症で5月16日までには全員の陰性が確認され、市中感染を防ぐことができました。東ティモールは、フィジーやパプア・ニューギニア、ニュージーランドなどと並んで、ウィルスの抑え込みに成功した9か国のうちの一つに数えらました。
非常事態宣言は2回延長され、現在のところ6月26日までとなっていますが、感染者がゼロとなったあとも非常事態宣言が延長されているのは、隣のインドネシアで毎日1000名を超える新規感染が確認されていて、水際対策を継続するためです。西ティモールでも感染症による死亡が確認されるようになり、東ティモールに戻りたい、という在インドネシア東ティモール人が相当数いるようです。「ねずみの道」と呼ばれる山道を通って違法に入国する人がいないか監視するために、ねずみ道には監視カメラが取り付けられました。
国内に目を向けると、初めの頃は警察官がいたるところで検問をして、マスクをせずに車を運転していると路肩に誘導して「マスクをしましょう」と注意してくれたりしていましたが、今はそういった取り締まりもなく、幾分緩んでいます。非常事態下でも主要なスーパーや商店は通常営業を続けていました。最初のひと月は公共乗合自動車の運行が禁止されていたため、市場に野菜が届かず普段2ドルで買えるバナナが4ドルもしたり、生鮮食品やデイリー品(パンやヨーグルトなど)が品薄になったりしていましたが、ふた月目からは条件付きで乗合自動車の運行も許可され、ほぼ通常通りに戻りました。買い物のための外出は一人で必ずマスク着用、店舗は店頭での手洗いと店内でのソーシャルディスタンスの徹底が義務付けられ、路上のキオスクや焼き鳥屋にも手洗い用の水と石鹸が用意され、人びとは色とりどりの手縫いマスクで往来を歩くことが当たり前になっていましたが、感染者ゼロの発表がされた途端、マスクと手洗いを省き、家族連れでショッピングモールに繰り出し始めるのは何とも東ティモールらしい光景です。3ヶ月目の非常事態下の現在、経済活動の制限も緩和され、学校も再開、教会でのミサや大勢が集まっての法事も許可され、東ティモール国内での活動はほぼ通常通りに戻っています。
パルシック東ティモール事務所は、非常事態宣言の直前3月13日に発生したディリの洪水被災者支援に関わるものを除いて3月28日から在宅勤務としました。しかし商店が通常通り開いており女性たちが作るアロマ・ティモール商品への注文も嬉しいことに入り続けたため、地方にいる女性たちと相談して生産活動を継続することにしました。女性たちのいる地方からディリまでの商品の輸送には普段、公共の乗合バスを使っているのですが、最初のひと月はこれが運行しておらず、女性たちは伝手を頼って個人商店などの車に便乗させてもらい、普段よりも高い交通費を払ってディリまで商品を届けてくれました。ひと月目の非常事態が終わる4月末に久しぶりに事務所に集まったスタッフたちは、アロマ・ティモールの生産活動が続いていることをとても喜び、続いて収穫期の近づくコーヒー事業も5月から産地マウベシでの業務を再開することにしました。初めはマウベシの警察署長や村長たちに活動再開のお伺いをたてるなど恐る恐るでしたが、ひとたびマウベシコーヒー生産者組合(COCAMAU)の農家を訪ねてコーヒー畑の改善に向けた研修や作業が始まると、毎日活動報告と共に嬉しそうなスタッフと農家の写真が送られてくるようになりました。5月30日にはいよいよエルメラ県でCCT(Cooperativa Café Timor)のコーヒー買い付けが始まり、マウベシでも7月からの収穫に向けて準備しています。
3カ月目の非常事態からは学校も再開するということで、学校と関連の深いふりかけ・栄養事業も本格的に再開できる見通しです。医療後進国、東ティモールでこの非常事態を過ごし、インターネット上でたくさんの情報に触れながら思うことは、東ティモールの人びとにある目に見えないものを畏れる力、についてです。ウィルスの抑え込みに成功したのはもちろん、政府の対策が適切であったことが大きいと思いますが、これほど東ティモールの人びとが一日に何度も手を洗い、ひとりで車を運転しているときでもマスクをし、感染症予防対策に従順だったのは、ひとえに市井の人びとがこの新しいウィルスを心底畏れていたためでした。ディリの洪水被災地を訪ねていった際、被災した家を離れて出身の村に帰ったという世帯が複数ありました。それを説明してくれるご近所さんは口を揃えて「コロナが怖くて村に帰った」と言い、自分にも逃げ場があれば逃げたいが、と言わんばかりです。目に見えないものを畏れ、家族と共にひたすら祈って暮らす。私たちにはなかなか真似のできないことになってしまった、と思います。