赴任3年、今想うこと
- コラム
ボタルディ(こんにちは)!先月も記しましたが、今年の東ティモールは、異常気象。いまだ雨が続き、大部分のコーヒーの実が木から落ちて腐ってしまいました。また天候の合間をぬってせっかく収穫したコーヒーも加工後の乾燥をすることができません。今年は【空腹の年】となるだろう、とコーヒー担当者のネルソン。食料が底をつき、また購入する余裕がなくなるというのです。一年の生計のほとんどをコーヒーからの収入に頼る生産者のみなさん。農業は天候次第。コーヒーの大部分は東ティモール西部で育ちます。代わって東部は畜産や米やトウモロコシなどの穀類生産が盛んですが、同様に洪水で田畑や動物が流され、緊急支援が急ピッチでおこなわれています。農家の皆さんの今後の生活状況を私たちも注視していきたいと考えています。
さて、私の東ティモール赴任もまもなく丸3年となろうとしています。楽しかったこと、辛かったこと、怒ったこと、泣いたこと、笑ったこと、さまざまな思い出が脳裏をよぎります。NGO職員として「人々のために」などと当初意気込んで着任しましたが、結局のところ、文化も歴史的背景も異なるこの地で東ティモール人からさまざまなことを逆に学ばさせて頂いた、と心底感じています。
まず、【おおらかさ】。仕事上失敗しても問題が起こっても「大丈夫」「心配ない」と笑って慰めてくれます。そしてどうにかやりくりしてしまうのです。臨機応変で絶対に自分を追い込みません。東ティモールの皆さんにとって仕事は最優先事項ではありません。一番大切なのは親類も含めた【家族】。打って変わって私は時として発狂寸前まで自分を追い込み、始終仕事のことを考え眠れなくなることもしばしば。そして「なんて寂しい人生なのだろう」とふと我に返ります。日本人も恐らく戦前までは家族を大切にしていたのでしょう。仕事上のトラブルによる鬱や悲しい自殺など、現在ほどではなかったはず。どこでボタンを掛け違えたのか…。
そして何よりも【笑顔】。街中いたるところに笑顔が溢れています。日本では路上で笑顔を見せたら変人か、と怖がられますね。ここでは笑顔は大切なコミュニケーション・ツールのようです。しかしここでもインドネシア占領時代、武力で統制されていた頃笑顔は見られなかったそうです。いつ密告されるか分からない、誰も信用できない、銃が向けられるかもしれない中で、笑顔どころではなかったでしょう。独立後、持ち前の明るさを謳歌している東ティモールの人々を見て、日本人も見習わなければならないのでは?と感じますし、東日本大震災後の今だからこそ、人間の本質を再考すべきだと思います。
とは分かっていても、ここで業務を遂行するにあたり、数々の問題に直面するのも事実です。計画性がない、また計画通りに進まない、情報が不確実、嘘をつくのに抵抗がない、そもそも仕事があまり好きじゃない(ようだ)、などなど…。
先日も目を疑う信じがたい光景が…。40フィートの長ーいコンテナを、どう見ても半分の20フィート用のトラックに乗せて険しい山道を下っていました。あ、ありえない。何でもアリなのです。
事故があったらどうするの!
とくに仕事上に関し、日本人と東ティモール人の性格や特性は180度異なるといってもいいでしょう。しかし、ここを訪れる日本人の多くがなぜ東ティモールに魅了されてしまうのか?それはやはり現代の日本人にはないもの、または失ったものを多く持っているからの一言に尽きると思います。私も間違いなくその一人です。
(東ティモール事務所 大坂智美)