東ティモール 美味しいコーヒーに出会う旅2022 参加者たちの感想文(1/3)
- コラム
東南アジアに位置する東ティモール。さんさんと降り注ぐ陽、山から引いた新鮮な水、多様な日陰樹……豊富な自然の力と、農家一人ひとりの手作業によって、パルシックの有機フェアトレードコーヒーは作られています。10月に開催された「東ティモール 美味しいコーヒーに出会う旅」に参加したみなさんの報告集です。
▼ 東ティモール 美味しいコーヒーに出会う旅2022 感想文集 目次
|
レボテロのミギー
パルシック東ティモール事務所 伊藤淳子
「レボテロのミギー」ことミグエルさんのことは、どこかで記録に残しておきたいと思っていました。長くなりますが、このツアー感想文がいい機会になりそうです。
2002年に初めて紹介されたときは、正直、なぜミグエルさんが地域の人たちから信頼を寄せられているのかが良く分かりませんでした。わたしはまだテトゥン語が話せずインドネシア語でコミュニケーションをとっていましたが、マウベシで出会った多くのコーヒー生産者の中でも、ミグエルさんはじめレボテロの人たちはひときわインドネシア語が上手ではなく、お互い、あまりよく理解しあえていなかったと思います。
わたしがテトゥン語を使えるようになっても、レボテロの人たちとの意思疎通はやはり困難でした。マウベシの街から近く、街の常設市場で野菜売りをしたり道路工事などの公共事業で日銭を稼いだり、現金収入を得る機会を常に外に求めていて、コツコツと良質のコーヒーを作ってより良い市場に出荷し、コーヒーを通じて地域全体の発展に貢献しようという組合の理念に、共感しているとはあまり思えませんでした。
ミグエルさんご家族に一目置くようになったきっかけは、ミグエルさんの奥さん、アメリアさんを通じてでした。2006年ごろからコカマウ内で女性だけの活動を始め、レボテロでもグループを作って養鶏を始めました。文字の読み書きができない女性たちが、いくらで雛を買ったか、餌にするトウモロコシなどをいくらで買ったか、そして卵や雛、鶏をいくらで売ったかを記録に残せるよう、絵や記号を使った記録のつけ方なども取り入れてマイクロクレジットでの養鶏に挑戦しました。残念ながら養鶏自体はあまり成果を出すことができませんでしたが、こうした女性たちとの様々な挑戦が現在のアロマ・ティモール商品につながっています。その過程で、家計簿をつけてみませんか、と何人かの女性に声をかけたところ、1年間家計簿をつけ続けてくれたのがアメリアさんでした。
アメリアさんもミグエルさんも、文字の読み書きができません。学校に行っている子どもたちに、毎日のお金の出入りを伝えて記録に残してくれていました。わたしたちがマウベシのコーヒー生産者の暮らしぶりをつぶさに理解することができるようになったのも、そしてこの国の女性たちと生計向上につながる活動をやる意義があると確信できたのも、このアメリアさんの家計簿の存在があったからでした。記録の正確さもさることながら、アメリアさん、ミグエルさんがコーヒーから得られる現金収入を堅実に管理し、時には集落の人たちに貸していました。東ティモールでは利率100%という高利貸しが地域の住民間で頻繁におこなわれているのですが、ミグエルさんの貸したお金の多くが元金すら未返済のままであることまでわかってしまい、レボテロでのミグエルさんの人望の厚さの理由をここに垣間見ました。
コーヒーは毎年表作と裏作を繰り返しますが、老朽化したコーヒーの木を使い続ける東ティモールでは5~10年に1回、恐ろしく不作の年がやってきます。今年、2022年がその年にあたりコカマウ全体で生豆38トンの出荷になりそうです(ちなみに2021年は122トン)。前回は2017年で、コカマウ全体で生豆23トンしか出荷できませんでした。コーヒー収穫期なのにほとんどコーヒーがとれず、コーヒーシーズン特有の活気もなく、高齢者年金や退役軍人恩給、韓国に出稼ぎに行った息子からの仕送りなどコーヒー以外の収入の当てができたからか、2011年の大不作の年までは経験していた「コーヒー価格をあげてくれ」というしつこい突き上げもなく、2017年はなんとなく不気味な年として強く記憶に残っています。
2017年が記憶に残る年になったのは、大不作の中レボテロだけが見違える量のコーヒーを出荷してきたからでもあります。もともとコーヒーから収入を得ることにあまり熱心ではないという印象だったのは、レボテロの生産者がもっているコーヒー畑が他の地域に比べて小さく、出荷量も少なかったということもありました。ところが2017年、パーチメントで1トンに満たないグループが続出する中、レボテロは4トンものコーヒーパーチメントを出荷してきました。正直、他人のコーヒーチェリーを買って水増ししているんではないかと勘繰りながらミグエルさんに理由を聞いたところ、「パルシックが教えてくれたから」と思ってもみない返事。つまり、2006年から2009年に実施していたコーヒー畑の改善研修で学んだことを、ミグエルさん、ドミンゴスさん、ロザリオさんという3人のメンバーがコツコツと実践してきた結果だというのです。
2006年から2009年に実施したコーヒー畑の改善事業では、コカマウ内に共同の苗床をつくって組合内で担当者を決めて管理し、組合員に配布したり、日本人のコーヒー栽培専門家を招いて古い木の台きりや剪定など手入れの仕方を学んだりしました。が、苗床の共同管理は結局うまくいかず育てた苗を配布して終わり、台きりや剪定もパイロットとしては実施できたものの農家レベルでの実践にはつながらなかった、と思っていました。それをミグエルさんは他の組合員2名と実践し続けていました。ミグエルさんのことを、そしてレボテロの組合員のことを、教養がなくてお金にがめつい人たちとどこかレッテルを貼っていた自分を、ひどく恥ずかしく思いました。
レボテロのコーヒーの品質については、改善の余地が大いにあります。レボテロの人たちは相変わらず市場で商いをし、出稼ぎに行き、政府が与えてくれたエコツーリズム開発の機会も上手に使いこなすことができず、コカマウ内ではいつまでたっても心掛かりな存在です。そんなレボテロを率いるミグエルさんは、自分のことを「学がない」といい、自分たちのことを「馬鹿者」といってはばかりません。ミグエルさんが学校に行くことができなかった背景は、ツアー中にみなさんにもお伝えしました。実はミグエルさんにはともに生き延びた唯一の実兄がいます。そのお兄さんはインドネシア支配下でインドネシア側につき、99年の住民投票後は西ティモールに逃げました。ミグエルさんとは土地を巡って常に揉めていて、何となく厄介者という印象のお兄さんですが、独立後、お前さえよければレボテロに戻りたいといわれ、ただ一人の血の繋がった兄を拒絶することはできなかった、とミグエルさんはいいます。
学がない、馬鹿者だというミグエルさんの言葉は、荒削りな中に本質的な優しさと人が社会を形づくって生きていくのに欠かせない知恵にあふれているとわたしは感じます。わたしは、コーヒーを探して東ティモールまで辿り着いたのではなく、ミグエルさんのような人と寄り添ってともに生きていける社会を求めて、コーヒーに行きついたのだったと、思い出させてくれるツアーでした。
みなさんとレボテロで折り紙を折っていた時、折り鶴を子どもたちに渡すわたしの隣にミグエルさんがやって来て、「マナ・メリ(アメリアさんのこと)にもひとつ」とつぶやいていきました。アメリアさんは熱と頭痛で臥せっていましたが、レボテロのみなさんと交流するわたしたちをベランダの隅に小さく座って眺めていました。青い折り鶴を「ミグエルさんから」と渡した時の、アメリアさんのちょっと驚いて、そして少女のようにはにかんだ笑顔は忘れられません。
東ティモールでの「出会い」と「手合い」
パルシック東京事務所 フェアトレード担当 根本知世
東ティモールのコーヒーとハーブティーを商品として取り扱っている身として、話に聞き、映像や写真で見るだけでなく、実際に現地に行ってみたいという気持ちはずっとありました。今回、ツアーの引率者として抜擢(?)されたのはうれしかったのですが、東ティモールは初めて、ツアーの引率も初めて。慣れないことにあたふたしつつも参加者の皆さんの協力のおかげもあって東ティモールに無事着くと、現地事務所の伊藤さんと工藤さんが出迎えてくれて、そこからは大船に乗った気持ちでサポートにまわりました。
コーヒーシーズンに訪れては農村滞在、が多かった東ティモールのスタディツアーですが、今回の目玉はコーヒーフェスティバルということで、農村滞在は1日のみ。その代わり3つの集落を訪れることができました。どの集落でももちろんコーヒー畑を案内してくれたのですが、それぞれ違うなかで印象的だったのは、「コーヒー畑」とインターネット検索して出てくるような整列されたコーヒーの木はなく、畑の区画によっては高さがまちまちのコーヒーの木がいろんなところに、キャッサバなどのほかの植物と一緒に生えていたことです。「鬱蒼としている」とまではいかないですが、いろんな緑に囲まれているその畑は「生きている」感じがしました。
エルダウトゥバ集落を訪れた際、グループリーダーのジョアオさんが畑を案内してくれました。その最中、ツアー参加者の一人に手のひらを出すように言い、自分の手のひらも広げて隣り合わせに一言、「ほら、これが農家の手だよ」と。そこにあったのはしわの多い、皮ふが硬そうな、厚みのある手。毎日農作業をして土に触れる人の手でした。
どの集落でもコーヒーや素材の味の濃いおいもなどでおもてなしをしてくれました。日本で「おいしいなあ」と飲んでいたコーヒーは、作られている環境、作り手の顔、声、想い、(もちろん手も!)を知ることで何倍にもおいしくなるのだなあと、東ティモール流のお砂糖たっぷり入れたコーヒーを飲んでしみじみと感じた旅でした。
個人的には、画面越しでしかお話ししたことのなかった現地事務所コーヒー事業責任者のネルソンさんと2020年のコーヒーオンラインツアーの動画(YouTube)で一方的に知っていたジョアオさんが私の中でアイドルさながらの存在になっていて、実際に会えてうれしかったのですが、ご本人たちにはミーハー心が照れくさくて伝えていないのでここだけのお話でお願いします。