ガザ、羊農家の奮闘
- 活動レポート
戦争の影響
パルシックは2022年3月からガザ地区ハン・ユニス県で羊農家の生計向上に取り組んでいます。(参照:ガザ地区における羊の畜産支援 )。本プロジェクトでは、ハン・ユニス県の3村(アル・マワーシ村、アル・マナーラ村、アル・カララ村)の羊農家70世帯が参加して、羊の飼育、乳製品づくり、乳製品の販売などを通した生計向上を目指しています。
しかし、昨年12月上旬、イスラエル軍によるハン・ユニス県への地上侵攻が始まり、アル・カララ村は避難対象地域となり、同村に住んでいた羊農家20世帯は避難を余儀なくされました。またアル・マナーラ村の27世帯の多くも避難しました。その中には、羊を連れて避難をした世帯も多くいます。
一方で、イスラエル軍が避難先として指定した海岸沿いに位置するアル・マワーシ村の羊農家23世帯は、一時的に避難した世帯もいましたが、大半が自宅に残っています。
ハン・ユニス県からイスラエル軍が概ね撤退した今年の4月、避難生活を続けていた羊農家の一部は自宅や羊小屋に戻り、生活環境の立て直しや被災した羊のケアに明け暮れています。しかし、自宅や羊小屋が空爆の被害にあったため、現在も避難生活を続けている羊農家もいます。
このような状況の中、パルシックのガザスタッフ5名は、通信環境が許す限り羊農家と連絡を取り続けて、避難の状況や被害の確認、また健康を害した羊の対処方法についてのアドバイス、飼育環境改善の提案など、献身的に羊農家のサポートを続けてきました。
羊農家の訪問調査と薬・ビタミン剤の配付
戦争以前から、ガザスタッフたちは畜産専門家のマフムードを中心に羊小屋を頻繁に訪問し、羊の飼育のアドバイスや研修などを丁寧に行ってきていて、羊農家とは支援する側とされる側という垣根を越えた「大家族」のような関係性を築いていました。そしてこの筆舌に尽くしがたい状況下で、皆で羊の命を繋いで未来に繋げようと奮闘しています。
2024年4月から5月にかけて、ガザスタッフは羊農家の訪問調査を行いました。ガザでは飢餓が広がっており、人が動物の飼料を食べざるを得ない状況が報じられていましたが、避難先に指定されているアル・マワーシ村では、まだかろうじてパンや小麦粉が入手可能なため、羊農家はパンのくずを羊にあげたり、戦争前に作っておいた干し草などを与えたりして、羊の命を懸命に繋いでいました。
羊の訪問調査の様子。1頭ずつ健康状態を確認するだけでなく、羊小屋の衛生環境も確認してアドバイスしました
羊農家が戦争中も記録している畜産管理シートを確認しながら、亡くなった羊の頭数や原因などを聞き取りました
雌羊の健康状態や空爆の音で驚いて流産した羊の状況など、飼育状況の記録を続けている羊農家
農業専門家のアブダッラーと羊農家が、パニカムの栽培地を訪問した様子。戦争前は背丈まで育っていたパニカムも、今は水不足のため育てるのは容易ではありませんが、作業できる羊農家が中心になって何とか栽培を続けています
戦争前に羊に与えていた栄養価の高い濃厚飼料は入手できないため、農家はパンを乾燥させて細かく砕き、羊の空腹を満たすために食べさせています
戦争以前からイスラエルによる軍事封鎖の影響で、羊に与える濃厚飼料はガザ内部での安定した供給が困難で、値段も高額でした。そのため、羊農家は自分たちでイネ科のパニカムを育てて青草を羊に与えたり、長期的に保存できるよう干し草にしたりして、持続可能な飼育に努めてきました(以前の記事https://www.parcic.org/activity/staff/report/gaza_livestock_23210.html)。
しかし、戦争以降、検問所の封鎖で濃厚飼料の確保が困難となり、水不足からパニカムの多くも枯れてしまったため、羊農家はパンや雑草、ハーブや木の葉を羊に与えていました。羊たちはビタミンやミネラルなどが不足して栄養失調状態に陥っており、病気にかかっている羊も多数いました。羊用の薬やビタミン剤が不足していて、病気の対応もできないと羊農家から多くの相談がガザスタッフに寄せられました。
ガザスタッフは「羊農家と羊をなんとしても助けたい。そしてこの事業を継続したい」との一心で、訪問調査直後から地元で動物の薬を販売している業者と連携し、羊の薬やビタミン剤、また注射器や針などを調達して、6月初めに、羊を育てる全世帯に配付をすることができました。
羊農家さんは深く安堵し、引き続き精一杯羊を育てて繁殖に繋がるようがんばりたいと改めて意気込みも語ってくれています。
配付した薬一式(写真右の白い袋)と羊用の塩ブロック(写真左)。ブロックはミネラルを補給するため羊に舐めさせます
配付した薬の投与のタイミングや方法、それらの効果を丁寧に説明する畜産専門家のマフムード
羊も空爆による恐怖で流産するケースが増えていますが、それでも耐え生き延びています
マフムードからの声
最後に、羊農家と羊のケアに誠心誠意取り組むマフムードの言葉をご紹介します。
「私たちに降りかかった死と破壊に対する深い悲しみと心の痛みが癒えることはありません。しかし、羊農家や羊小屋を訪問して、羊農家はまさにガザの英雄だと感銘しました。彼らの並外れた不屈の精神、そして不断の努力を目の当たりにしたからです。
そして私は一縷の希望を感じました。私たちは、自分たちが2022年3月から実施してきた羊農家の生計向上を支えるプロジェクトが実を結んできたと確信して疑いません。戦時中も、羊農家の皆さんは自らの子どもを抱きかかえて、さらにはまるで実の子どものように羊たちを連れて退避をしてきました。 避難場所に羊を連れていくことができなかった羊農家も、空爆が止んだ合間に羊小屋に戻り、羊に水や貴重なパンくずなどを与えていました
戦争前から羊農家は飼育技術研修やパニカムの栽培技術研修を通して、羊の適切な飼育方法や病気の際の応急処置の仕方などを皆で協力して実践してきただけでなく、グループで羊の飼育やパニカムの栽培を行ってきたので、通信状況が悪い中でも羊農家同士で情報交換をして、皆でこの危機を乗り越えようと力を尽くしていました。
自分たちの命を繋ぐために羊を殺して食べるという究極の選択もあった中、羊農家の皆さんは『このプロジェクトは日本からの贈り物であり、羊は家族の一員そのもの。そしてガザから羊を死滅させないためにも、なんとしても守り抜きたい』と工夫を凝らして飼育していました。私は羊農家の皆さんの努力に心から敬服しています。私たちを疲弊させるこの忌々しい戦争が終わった後、彼らも羊も回復することを願っています。私は彼らを全力でサポートし、今後もこれまで以上に努力をすることを誓います」
戦争前はガザ北部の実家で自らも羊を27頭飼育していたマフムード。羊をこよなく愛し、戦争以前から寝る間も惜しんで羊農家と羊のサポートをしていました
(パレスチナ事務所)
*この事業は日本NGO連携無償資金協力の助成と皆さまからのご寄付により実施しています。