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[開催報告]<~知る・繋がる~ミャンマー連続講座>2022年度第4回 ミャンマーの民族問題と国民統合:カヤー(カレンニー)世界から

  • 活動レポート

2022年9月9日に開催しました「~知る・繋がる~ミャンマー連続講座2022」の第4回は大妻女子大学比較文化学部の久保忠行先生にお話しいただきました。お話の一部をご紹介します。

民族の捉え方

まず「民族とは何か」ですが、民族は部族(tribe)ではありません。部族は未開人を指す蔑称です。国家を構成する集団をNationと言い、日本語では国民や民族と訳されます。あらゆる国は多民族国家です。ここでの民族は「我々意識」や権利をもつ人間集団です。民族はどのように定義され、「我々意識」の源泉はどこにあるのでしょうか? 文化人類学では民族について様々な観点から研究されてきました。 

まず主観的定義:「私は〇〇民族だ」というものがあります。しかし「私はカレン民族だ」と言ったらカレン民族になるでしょうか? そうはなりません。次に客観的定義として、言語、宗教、地縁、血縁、慣習、伝統、文化、国籍等の指標によるものです。しかし、例えば両親がミャンマー人で日本国籍はない場合、日本生まれ日本育ちの子どもには国籍がありません。しかし日本語は話せるといったケースを考えてみれば分かるように、言語や国籍は、必ずしも「○○人である」ことの根拠にはなりません。

また原初的側面として、自意識や愛着は、言語、文化、宗教、神話、伝統などと不可分という考え方があります。しかしこれは本質主義的なものの見方で、「日本人は勤勉だ」など固定化してとらえる見方として問題をはらんでいます。対照的に道具的側面から民族を捉える見方があり、これは原初的な感情や愛着も、政治的に利用され構築されたものだという考え方です。確かに民族は構築されたものです。しかし、例えば、日本人の野球選手がアメリカで活躍していて嬉しいという感情は幻想だ、つくられたものだと切り捨てることはできるでしょうか。そこにある実感や感情はどう説明できるのでしょうか。

そこで民族とは何かを考える上では、民族はつくられたものであるにもかかわらず、自然なもののようにみえるのはなぜかを考える必要があります。そしてどのような権力が作用し、誰が特定の民族カテゴリーをつくっているのか、そしていかにそのカテゴリーが受容、維持されるのかを考えることが重要です。

名付け/名乗りとエスニック・バウンダリー論

次のような民族の捉え方もあります。それは、「我々意識」とは「名」の問題であり、名付けと名乗りの相互作用で「民族」が実体化するというものです。国家による名づけは、社会への秩序付けをあらわしています。例えば、ビルマは135民族だけれどもロヒンギャは含まないというものです。国家の名付けに対する名乗りは、国家による秩序づけへの服従をあらわします。しかし、名付けと名乗りの範疇は一致するわけではありません。名乗りは他者(第三者)の存在を前提にしています。民族の捉え方として大切なのは、名付けと名乗りが生じる具体的な状況を把握することです。

もう一つはエスニック・バウンダリー論というものです。この考え方は、文化的な差異があって異なる民族になるのではなく、集団と集団のあいだに境界線が引かれることで、差異だけが強調され、異なる民族カテゴリーが生まれるという見方です。

なぜ「異民族」が生まれるのでしょうか。地理的に近接し、行き来もある2つの民族集団が近くにいるからこそ、「あいつらはA人だが、おれたちはB人だ」と差異化します。大切なのは、これが「○○民族の○○文化」と境界線を固定して考えるのではなく、民族間の関係に着目し、その差異がつくりだされるプロセスに注目することです。例えば、高校野球というのは、最初は地方大会での県同士のたたかいですが、その後は全国大会となり都道府県同士の競技になります。今年、仙台育英が優勝すると、宮城県だけでなく東北の人たちが喜んでいる、という「東北カテゴリー」が強調されるようになります。このように文脈や関係性の中で集団をとらえることが重要です。

カヤー(カレンニー)の世界

次に話の舞台となるカヤー州(カレンニー州)についてです。カヤー州は、ミャンマー東部の最小の州で、タイのメーホンソーン県に隣接し、諸民族は国境をまたいで居住しています。1989年ころから現在に至るまで、タイ側には難民キャンプが設置されています。

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カヤー州には旧日本軍が作った橋や日本刀などの遺物が残っています。また戦後補償の第一号として、カヤー州ではバルーチャウン水力発電所が建設されました。しかしこの電気は周辺の村には届かず都市部だけに届き、さらに送電線の下には地雷が埋設されて地元の人が犠牲になり、多くの批判がありました。

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ミャンマーがイギリス領だった頃、カヤー州は(一説では中国への安全な交易ルート確保のため)名目上の独立の地位にあったため、ビルマ独立直前までビルマ連邦への参入を拒否していました。指導者の暗殺により連邦に加盟しました。しかし州の独立の機運はやまず、1957年にカレンニー民族進歩党(以下、KNPP)が結党し、その後の武装闘争の主体となりました。  

各地で内戦が起こりました。1980年代末までは、乾季は戦闘があるため住民はタイ側に避難し、雨季は休戦するので村に帰還していました。しかし90年代以降は強制労働、強制移動が行われ、帰還できなくなり難民生活が長期化していきます。ほとんどが山地のカヤー州では、国軍は、兵力や兵器で勝るものの地の利がありません。逆に武装組織は兵力や兵器では劣るので武力で国軍に勝てませんが、地の利を活かしたゲリラ戦を展開します。長引く状況に対して「いつ戦闘が終わるかわからない」と言われることがありますが、これは、国軍と抵抗軍の双方にとって「勝てないが負けもしない戦闘」が継続していることを指します。2021年2月のクーデター後に新たに始まったのが空爆です。国軍は地の利で制圧できないから空爆ですべてを破壊してしまうという行動に出ていると考えられます。  

さてKNPPは「民族」をもとにした抵抗運動を展開してきました。その運動の核となるのが、「歴史」や「言語」の教育です。2019年にはカヤー州の州都でアウンサン像を設置することに対し1,500人が反対のデモ活動を行いました。ミャンマー国内では諸民族の歴史教育は行われていません。しかしこうした抗議活動が起こること自体、国史とは異なる「もう一つの歴史」が人々の間に息づいていることが分かります。

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KNPPが掲げる「カレンニー」もまた政治的につくられるものです。「カレンニー」とは他称で、自称は「カヤー」か「カヤーリー」です。カヤーは人間という意味の単語です。KNPPは州内の12の民族の総称をカレンニーとしました。しかしKNPPが独自に発明したカレンニー語は州内諸民族で多数を占めるカヤー語を表記したものであり、KNPPによるカレンニーはカヤー中心の運動でした。カヤーとカレンニーの関係は、ビルマ民族とミャンマーの関係に似ています。諸民族の世界には、国家の縮図があるのです。他方でKNPPの「名付け」に対して、人々が日常の場面でいかに「名乗る」のかをみてみても、その時々の文脈に依存することがわかります。

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民族問題と国民統合

民族問題と国民統合を考えるうえで重要なのは、軍政による諸民族の分断です。諸民族の居住地は、国軍がうまく攻め込めない山地です。そのため、諸民族の武装組織を停戦させて、経済的な利権を与え、その組織を通して介入するという、諸民族同士が反目する構造を、軍政が意図的につくってきました。現在、PDF(市民防衛隊)に対抗する民族勢力もあります。三つ巴、四つ巴というのが全体の構造で、これは軍政が作った分断の構造です。状況は複雑ですが、複雑になればなるほど、国軍が無いとバラバラになってしまうという国軍の暴力を正当性することになってしまいます。もともとの原因は軍政がつくりだしたものであるにもかかわらずです。  

最後に部外者の役割についてです。私たち部外者は、「政治化された民族の語り」を聞く機会が多くあります。その民族像こそ紛争の過程で強調されてきたバウンダリー(境界線)にもとづくものです。他方で、現地の人々は「〇〇民族であり△△人」のような柔軟な帰属意識ももっています。部外者にできることは、「政治化された民族像」「本質化された民族像」を再生産しないようにすることです。

Q&A(抜粋)

Q 「ビルマ」と呼び続けるのは民主化運動家だけになってしまうのか。

A ミャンマーという呼称が90年代と比べるとかなり受容されてきている。民主化を求める人のなかにも、ミャンマーという名乗りをする人もいるので、ビルマでもミャンマーでも、どちらでも良いのではないか。決してビルマ民族だけのものになるというわけではない。

Q 政治化された語りを再生産しないけれど彼らの尊厳は尊重する、という対応は具体的にはどのようなものか?

A 民族や国民の意識(我々意識)がつくられる仕組みを明らかにすることが、その人たちの尊厳を傷つけるわけではない。日本人という自意識はどのようにつくられたのかということを解きほぐしていくことは、私の日本人らしさを否定するわけではない。政治化された語りを再生産しないというのは、本質主義的な民族像(例:日本人は勤勉)で単純化しないこと。

Q カレンニー語がつくられると、それ以外の少数民族も自分たちの文字表記をつくったという話について。元々書き言葉はなかったのか。

A 聖書でもちいられる書き言葉を持っていた民族と、そうでない民族の両方があった。聖書はアルファベットで自分たちの言葉ではないので、自ら文字をつくろうという動きがあった。タイ文字を模倣したり、ミャンマー文字を違う読み方にしたりして、独自の文字表記を製作する人も出てきたし、アルファベット表記の文字表記を使って教育を行う人もいる。例えばカヤンの文字はアルファベット表記。

Q アウンサン像への反対が特にカヤー州で盛り上がったのは何故か。

A 一番の理由は、アウンサンは私たちの英雄ではないという歴史観が息づいていたからだと思う。これが脈々と息づいていたのは何故か、今後調べる予定。

Q カヤー州はクリスチャンが多いが、ミャンマーは仏教徒が多い。宗教上の違いから相容れないと思われてしまうのか。

A これまでの停戦交渉では、カトリックの神父が軍政側とKNPP側を仲介したこともある。仏教徒だからこう、クリスチャンだからこう、という宗教に基づく分断をあまり認識してはいない。

もっと知りたい方は

ぜひ、久保先生の著書、『難民の人類学—タイ・ビルマ国境のカレンニー難民の移動と定住—』(清水弘文堂書房、2014年)を読んでみてくださいね。海外に移住した方々のお話や、タイの観光村についてなど、講演には入りきらなかった興味深いお話がたくさんあります。

(パルシック東京事務所)

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