能登地震レポート “能登”を守り続けるために ~あばれ祭りに参加して~
- 活動レポート
能登半島地震の発生から半年が経過しました。
季節は巡り、能登にも梅雨の季節がやってきました。雨の日が続く中、珍しく晴れた7月5日~6日にかけて能登町の宇出津であばれ祭りが開催されました。
能登の「キリコ祭り」とあばれ祭り
能登半島には、江戸時代から続く「キリコ祭り」があります。7月~10月にかけて開かれ、豊作や大漁を願い、担ぎ棒の付いた灯篭を担いで練り歩くお祭りで、能登には約200のキリコ祭りがあります。
各町内が所有するキリコ。担ぐ際には、祭り用の紐がついた「座布団」を担ぎ棒にくくりつけて肩に当てて担ぎます
「キリコ祭り」では、「ヨバレ」と言われる、親せきや日頃お世話になっている人を自宅に招待しごちそうをふるまう風習があります。最近は仕出しを利用するところも増えてきましたが、今でも続いている祭りに欠かせない風習です。
昨年のヨバレで出された「ごっつぉ(ご馳走)」。午後と夜の間の休憩時間に、ヨバレが行われます
あばれ祭りは、「キリコ祭り」の一つで、毎年あばれ祭りを皮切りに能登の祭りが始まります。約40基のキリコを住民が担いで町内を練り歩き、2日目には、選抜された男性たちが2基の神輿を担ぎ、地面に叩きつけたり、川や海、火の中に投げ込み壊していきます。「キリコ祭り」の中でも、威勢がよく豪快なのが特徴で、キリコや神輿が激しく暴れまわる様が名前の由来となっています。
1日目の夜は、大松明の周りをキリコが練り歩きます。キリコの上には子どもが乗って、掛け声をかけ、太鼓や鉦(しょう)を鳴らします。地元の人は「祭りの英才教育」と言っていました
選ばれた男性だけが担げる神輿。「チョーサー、チョーサー」と掛け声をかけながら、神輿を叩き、壊していきます
まだ地震の爪痕も多く残り、公費解体も進まない中、祭りの開催には地元住民から賛否の声が寄せられていました。「家が全壊した人もいる中で何故祭りを開催するのか」、「祭りの開催に合わせて、宇出津周辺の道路が先に修繕されている気がする。もっと優先することがあるんじゃないのか」という否定的な声がある一方、「祭りが復興のきっかけになって欲しい」と開催を前向きにとらえる声もありました。そのため、開催するらしいという話があっても、詳細は直前まで分からないままでした。
全壊した家の前に建てられたキリコ
地震の影響で水位がました川には、土嚢が積まれています
実際、直前までキリコを出すか各町内で議論がなされ、ぎりぎりになってキリコを出すことを決めたところもあります。
久しぶりの再会を喜ぶ家族や友人たち
祭りの開催前日までは、いくつかの商店が祭り関連の商品を販売しているだけで、あまり盛り上がりのないまま、本当に明日開催されるのかな?という雰囲気でしたが、祭り当日は様子が一変。例年ほどではないにしても、メイン通りに屋台が立ち並び、各町内で統一したはっぴやTシャツを着た人が町に溢れ、祭りの雰囲気でいっぱいになっていました。
羽田から能登のフライトは、行きも帰りも満席。地元を離れ、都会で暮らす家族や友人が久しぶりに集まり、再会を喜ぶ姿や談笑する様子をいたるところで目にしました。中には、「地震があったから、7年ぶりにあばれ祭りに参加した。」という宇出津出身の人も。盆暮れ正月に戻らなくても、祭りの時は何とか休みを取って能登に戻ってくる人もたくさんいると聞き、それだけ能登の人にとって祭りが重要なことが分かります。
休憩をはさんで2日目は深夜3時頃まで続きます。肩も痛くしんどいですが、終わった時にはやり切ったという達成感でみんな生き生きとした顔をしていました
実際に参加してみると、代々続いてきた伝統ある祭りを続けるということだけではなく、同じ町内の老若男女が声を掛け合い、力を合わせてキリコを担ぐことの大きな意義を感じます。便利で効率的なことが重視され、オンラインで自由に繋がることができる時代に、祭りがあることが能登に帰ってくる一つのきっかけになり、能登の人の繋がりの強さや風土を作っていると思います。
あばれ祭りの終着点となる八坂神社で神輿が燃やされる様子
減少する祭りの担ぎ手と、祭りを守る取り組み
能登半島では各地で様々なキリコ祭りが開催されますが、最近は、担ぎ手がいなくなりキリコを出せなくなった集落も増えています。祭りを存続させるため、担ぎ手の人数を補うために町外からボランティアを呼ぶ取組みも毎年見られます。あばれ祭りも例にもれず、担ぎ手不足でキリコが出せない地域もあり、今年も県外から学生ボランティアや祭りを支援する団体がキリコを担ぎに来ていました。
この半年間、能登に軸足を置きながら活動する中で、強く感じてきた危機感は、地震によって能登を離れる人が増え、住む人がいなくなることで能登に根付いてきた伝統や文化自体が失われる可能性があることです。
能登で暮らし続ける、能登に戻るという選択肢を選ぶために
地震の影響で、元々あった過疎・高齢化が加速するというのは様々なところで言われています。前向きな選択として能登を離れることを決めた場合は別ですが、家や仕事を失うなど、能登で暮らしていきたいのに、離れる選択をせざるを得なくなり、その選択を迫られている人が多くいます。また、一人ひとりに話を聞くとそれぞれ事情が異なり、家族の中でも意見が分かれているという家庭もあります。
能登で暮らすことを前向きな選択にするには、被災者の暮らしの再建とともに、この土地に能登らしさ、能登の良さが生き続けることが大切だと思います。同時に、能登の復興・復旧には外からの力が必要不可欠です。発災直後から、被災者でありながら能登の復興のために奔走する地域の方や移住者に何人も出会ってきましたが、元々人口減少の課題を抱える地域では、祭りと同様に外から関心を持って支え続ける人が必要です。
祭り2日目の深夜3時、キリコを担ぎ終えた達成感を味わいながら、祭りに集まる人に勇気づけられ、能登の復興を改めて考える時間になりました。
(能登事務所 小栗清香)
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