能登出張レポート ふたつの災害のあとに
- 活動レポート
こんにちは。パルシック東京事務所の今村です。
「パルシックは、能登でどんな活動をしているのですか?」
東京事務所にいるとよくこんな問い合わせを受けます。寄付先としてご検討してくださっている企業の方だったり、学生ボランティアの受け入れ先を探している大学であったり。東京でも、もう少し解像度高く能登のことを伝えられるようになりたい。そんな動機で9月24日、震災後、はじめて能登を訪れることになりました。
しかし、出張直前の9月21日に、能登は記録的な大雨に見舞われ、思いもかけず、災害直後の被災地に行くこととなったのです。
「復興」とはほど遠い現実
パルシックの能登チームは現在3人体制ですが、豪雨のあと、3人は、休む間もなく支援活動に駆け回っていました。そんななか、能登里山空港でピックアップしてもらい、能登町の山間部にあるパルシックの拠点から、物資配付を行う輪島の重蔵神社へ。
数日前の豪雨が嘘のように青空が広がり、緑の山々のなかに、能登瓦と呼ばれる黒い瓦が日を受けて美しく光り、絵にかいたような里山の美しさが車窓に広がります。しかし、その風景が長く続くことはありません。「あれは地震です」、「あれは雨の被害です」。運転する同僚が、次々と現れる災害のつめ跡を説明してくれます。
地震のあとの土砂崩れがいたるところにあります
そして、街中には、「これが本当に震災から9か月経ったあとなのか」と目を疑うような光景が広がっていました。傾いた電柱や標識、いたるところにある倒れたままの家屋やビル、輪島の朝市の焼け跡。震災のあと、時を止めてしまったかのようです。
実際にはもちろん公費解体も進んではいて、解体された場所は更地が広がり、解体されていない崩れた家屋と、街中はまるでパッチワークのような感じになっていました。
崩れた家屋が、まだそのままの状態です
積みあがるAMAZONの段ボール、汗だくの開封作業
輪島の重蔵神社に着いた私たちを待っていたのは、物資を保管するテントの中に積みあがるAMAZONの段ボールでした。
震災以降、物資配付を行っている重蔵神社さんが、豪雨を受けて「AMAZON欲しいものリスト」で支援を呼び掛けたところ、全国からたくさんの支援が届いていたのです。しかし問題は、この山のような段ボールを開ける人手がないこと!段ボールには、何が入っているかわからないから、開けてみないことには配付もできません。
そんな訳で、箱を開けないと何も始まらない、と私たちは重蔵神社に集まった数名の地元のボランティアさんたちと一緒に箱を開け、梱包材を取り除き、中身を確認し、同じものを同じ場所に積み上げ、段ボールを解体し、ゴミをまとめる・・・
という作業をひたすらに繰り返したのでした。
物資配付の時間に間に合うように、皆、汗だくになりながら段ボールを開封します
そして、始まった物資配付には長い行列が。
食料品を配るテントと水害の掃除道具を配るテントに分けて、配付を行いました。
掃除道具を配付するテントに並ぶ人たち
能登だからひどかったのではない。能登だから助かった
物資配付も終わり、片付けをしながら、ボランティアとして参加していた能登の方たちと話をしていたとき、一人の男性が「能登の地形のせいで地震の被害がひどかったって報道とかで言われているけど、僕は能登だから助かったと思っている」と言いました。それを聞いた能登の人たちが「ほんとそう!」と皆いうのです。
「え、どういうことですか?」と戸惑う私に、「能登にはなんでもあるのよ。お米とか野菜とか。だから、地震のあとも農家さんとかがお米や野菜を分けてくれて、食べるものには困らなかったの。東京で同じことが起こったら、きっと食料の奪い合いになるわよ!だから備えておきなさい」と。
「能登では助け合うのが当たり前だからね」と笑いながら話す能登の人たちを見て、隣に住む人の顔も知らない私は、果たして地震が起こったらどうなるんだろうと考えてしまいました。
重蔵神社も大きな被害を受けました。まだ再建には手も付けられず、木材を積み重ねて屋根を支えていました
テクノロジーはどこに行った?
翌日、「本当に掃除道具が必要な人は、重蔵神社にも来られていない」ということで、私たちはまた、テントに届いた段ボールを開け、今度は車で物資を運んで届けに行きました。ボランティアは私たちを含め数名。掃除道具の中でも何を必要としているかはわからず、とりあえず見繕って出発し、具体的に必要な物を聞き取り戻ってきて積み替えて出発・・・。土地に詳しい人がいないとその場所にも行けないので、地域外から来てくれたボランティアの人たちがいても、案内できる人が戻ってこないとどこに行くこともできません。
Uberで、離れたお店からいつでも温かい食べ物が、お店の人じゃない人によって運ばれる時代に、どこで誰が何を必要としているのか、それがどこにあるのか、誰がそれを運べるのか、Googleナビで行けないのか・・。なんとももどかしい思いがぬぐえませんでした。
途方のない道のりを、背負うのは誰か
帰途につく朝。パルシックが受け入れをしていたボランティアの大学生たちが、水害にあった家屋の清掃作業へと出発していきました。泥の入り込んだ家屋を住めるようになるまで清掃するのは、本当に気の遠くなる、そして肉体的にも大変な作業です。
(詳しくは、ぜひこちらのレポートをお読みください!)
能登を移動していると、「ご恩は決して忘れません!」など、支援への感謝を書いた垂れ幕を見かけたりします。重蔵神社で配付をしていたときも、行列に並んだ高齢の女性から「本当にありがとうね」と感謝されました。私はたった1時間、飛行機に乗ってきただけで、たいしたことは何もしていないのに。
進まない震災からの復興の最中、さらには水害にまであい、家や生活や町を立て直すことは、本当に気の遠くなるような途方もない道のりになるでしょう。その重荷を背負わないといけないのは、果たして被災した能登の人たちだけなのでしょうか。
災害大国日本で、私たちはいつ自分が被災者になるかわからない。「ご恩」でも「感謝」でもない、「助け合うのが当たり前」になれば、そしてそれが実現できる環境や仕組みが整えば・・、この出張ではそんなことを考えさせられました。
輪島の仮設住宅。広い場所を確保することが難しいそうで、狭いエリアにぎゅっと詰まって建てられていました
パルシックのできることを
最後、空港に向かう前に立ち寄ったのは「交流宿泊所こぶし」という元小学校。豪雨後に断水が続き、避難されている人たちがいます。そこでは、パルシックの別のメンバーが苔玉づくり教室の準備をしていました。
大雨があったことで、さまざまなイベントの中止が相次ぐなか、少しでも人が集まる機会を持てたらと、予定どおり開催を決定したのです。
苔玉づくり教室の準備をするパルシックスタッフ。能登出身です
能登の震災から9か月。能登の同僚たちは「能登のいいところを伝えていきたい!いろんな人に能登に興味を持ってほしい」といいます。
ぜひ、これをお読みくださっている皆さまも、能登に行ってみてください!それが何よりの助けになるはずです。
(東京事務所 今村仙子)
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