西岸地区:100人植樹会
- 活動レポート
3年目に入ったパルシックの植樹事業。今年はヨルダン川西岸地区ナブルス県の北アシーラ町に、昨年の植樹会でも植えたイナゴマメの木を200本植樹しました。
カラック山にて集合写真
北アシーラ内外から植樹ボランティアさんを100人も集めて行う植樹会に、スタッフ一同は緊張していました。
こんなにたくさん来てもらって、少ないスタッフで運営できるのかという不安の一方、去年は定員数を絞りすぎてしまったため、ボランティアさん一人ひとりの植樹本数が増えて負担が大きくなってしまったという反省もあり、今年はコミュニティ内外からたくさん人を集めて、町をあげて植樹会を行うことになりました。
植樹当日の朝。冬晴れの、肌がピシッとなるような気持ちのいい天気。
第1の任務はパルシック事務所のある中心都市ラマッラーのバス停で参加者数名を拾い、集合場所のナブルスのバス停に向かうこと。
現地の時間感覚だと15~30分遅れなどはざらですが、誰一人遅刻者はいませでんした。現地人以上に現地の時間感覚に慣れ切ってしまった駐在の日本人が最後に滑り込みセーフをしたくらいでした。
第2の任務は集合場所ナブルスのバス停で他のボランティアと合流し、マイクロバスで北アシーラの町役場に向かうこと。
バス停につくと、すでにたくさんボランティアが集まっていましたが、肝心のバスの姿がありません。その後、待てど暮らせどバスは来ず、待ちくたびれるボランティアと焦るスタッフ。さらに、当日ドタキャンをするボランティアも相次ぎ、来るか来ないかの確認電話をかけるなど、あっちにこっちにと対応に追われます。結局バスは45分遅れで到着。ボランティアたちの辛抱強さに救われました。
こちらでは「インシャーアッラー」という言葉を1日20回は聞く……というのは言い過ぎかもしれないですが、みんな頻繁に口にします。直訳すると「神の御心のままに」となるのですが、ニュアンスとしては、誰かと約束を取り付けるときや、願いや期待をかけるときに文の前か後ろに付けて使います。
「99%絶対だ」という本気度の高いものから、「気が向けばね」、「そうなるといいね」ぐらいの軽いもの、また「オッケー」の合図まで、文脈を読む必要があります。
植樹の前日までにバス会社に何度もしつこく確認したため、私たちは「バスが集合時間10分前にバス停に到着すること」で「99%」を取り付けていたつもりだったのですが、どうやら「当日バスがバス停に来ること」があちらの「インシャーアッラー」にかけられていたようです。
オリエンテーション会場も大混乱
朝の大混乱がありつつも、何とかアシーラ町役場で朝一のオリエンテーションを終え、ボランティアさんと植樹を手伝ってくれる地元農家さん混合のグループでそれぞれ北アシーラ町の植樹場所に向かいました。今年の植樹場所は、地域の公立マスカット中学校を囲む道路沿いと、荒地状態となっていた町役場所有の公共の丘、カラック山の2か所。
ゴミとがれきで溢れるカラック山
秒速約20メートル級の風が吹きつけることもあるカラック山は、植樹の2カ月前まで、がれきと粗大ゴミの溢れる投棄地と化していました。
北アシーラには4,000ドノム[※1]( 1ドノム=1,000平方メートル)にも及ぶ耕作放棄地があります。
こうした空き地を放置しておくと新たな入植地建設などのために土地接収の対象になることもある上、ゴミが投棄されやすくなります。こうして違法に捨てられる大量のゴミは、パレスチナ自治政府が管轄する正規のゴミ処理場が3か所しかない西岸地区全体の大きな課題となっています(さらに現在稼働中のゴミ処理場は2か所のみ)。
今回植樹に際して片づけられたゴミは、また別の投棄地に移動されただけなのかもしれません。ゴミ処理場の整備や廃棄するゴミの量自体を減らさないことには、根本的な問題の解決にはなりません。それでも、こうした環境問題をボランティアが学び、自分たちで手を加えて見違えらせることで、町の景観を守る大切さや、自分たちの住む場所に愛着を感じてもらうことが植樹会の目的の1つでもありました。
[※1] 面積の単位。ドノムはテュルク語のdonmekに由来し、元々の定義は大人1人が1日に耕すことのできる面積であった。よって、その面積は人によって、また土地によって異なっていた。現在でも、かつてのオスマン帝国の版図にあった地域で使用されている。
この日、マスカット中学校での植樹を先に終えたボランティアグループがカラック山の植樹にも応援に駆け付け、カラック山に計175本のイナゴマメを植樹することができました。
西岸地区ではイノシシ(現地の人は「豚(ピッグ)」と呼んでいるため日本人はいつも困惑する)による農作物の被害が深刻となっているため、害獣除けの囲いも設置しました。
パレスチナのシンボル、クーフィーヤを巻いた北アシーラ村長も植樹会で汗を流す
後日、町役場の職員が一本一本、囲いに印をつけながら本数を数えました。
スプレーで1本ずつ、この丁寧さがあれば今後もちゃんと育ってくれるはず
植樹も終わりに近づいたころ、植樹に参加してくれた地域の農家さんたちが火をおこして、その場でオスマン帝国期から西アジア地域一帯で食べられている家庭料理シャクシューカを作りはじめました。
トマトやタマネギ、唐辛子に卵などを煮込んで作るシャクシューカ。
よく働いたあとに食べる熱々の出来立てシャクシューカは、登山後、山頂で食べるカップラーメンのおいしさと似ていて、とにかく身体に染みわたります。
シャクシューカ
西岸各地から集まった現地、海外ボランティアさんが、植樹したての丘の上に広げた大きな1枚のシートに座って、話に花を咲かせます。
「多様な文化をもったボランティアがひとつのグループになって作業できたことが、今回の植樹会の成功につながったと思います」
とのコメントをくれたボランティアさんの言う通り、植樹のもう1つの醍醐味が異文化交流です。
海外のお姉さんたちと英語を使って積極的に交流するのは、地球環境基金の助成事業で3年間一緒に活動を続けてきたジャマイン環境クラブの学生たち。いつもはシャイな男子学生たちが自然の中でちょっと開放的になっておしゃべりを楽しむ姿に、パルシックスタッフは少しくすっとしていました。
一方、熟練のオリーブ農家が大勢助っ人にかけつけてくれた植樹会、
「楽しかったけど個人的にはもっとがっつり作業をしたかった。これだけたくさんボランティアがいたら、穴掘りからやっても良かったかも」
と少し物足りなさが残ったボランティアさんもいました。
来年は「重労働」と「気持ちのいい汗のかける作業」の匙加減を、しっかり追及してみたいと思います。
さて、今回の植樹会で緑化できたエリアは耕作放棄地のほんの一部にすぎませんが、植樹後の写真をみると、数カ月前までゴミで溢れていた場所とはまるで想像がつきません。
植樹ビフォー
植樹アフター
カラック山から望める景色は、そこをゴミ山にしておくにはもったいないほど美しいです。
眼下に広がるオリーブ畑は、だれかの祖父やそのまた祖父の時代に植えられ、そうして長い年月、人の手が加えられることによってつくられてきた人間の営みそのものだと思います。
カラック山からの景色
植樹後バスに乗ってボランティアが去ったカラック山を見つめながら「この景色がずっと残ってほしいな」と、その日1番の「インシャーアッラー」を願いました。
(パレスチナ事務所 関口)