パレスチナの民際協力活動
国際社会に翻弄されてきた人びとに寄り添う
パレスチナのガザ地区は人や物の移動が制限され、
繰り返される攻撃と破壊により、復興が進んでいません。
100万人の人びとが未だ必要な食糧を確保することもままならず、失業率は42%にのぼり、
若い世代が将来への希望や夢を抱くことが難しい状況です。
パルシックは、2014年の戦争を契機にガザ地区の緊急及び生活再建支援を、
2016年からは西岸地区で循環型社会をつくるための支援を行っています。
プロジェクト
スタッフレポート
パレスチナを知る
国基本情報
国 | パレスチナ(Palestine) |
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面積 | 6,020平方キロメートル 西岸地区5,655平方キロメートル(三重県と同程度) ガザ地区365平方キロメートル(東京23区の約0.6倍) |
人口 | パレスチナ自治区約535万人(うち西岸地区約319万人、ガザ地区216万人) |
宗教 | イスラム教92%・キリスト教7%・その他1% |
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各地域の人口
パレスチナ自治区 西岸地区 108万人
ガザ地区 164万人中東諸国 ヨルダン 246万人
シリア 65万人
レバノン 54万人世界中の
パレスチナ人合計約1,400万人 パレスチナ人は1948年のイスラエル建国以来、人口の50%以上が難民となって近隣の中東諸国あるいは米国、ヨーロッパなどに散っています。ガザ、西岸の人口も1948年以前は他の地域に暮らしていた人たちが難民となってこの地域に居住している難民です。
※世界各地に難民となっているパレスチナ人(令和4年6月15日、出所:外務省)
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略史
16世紀 オスマン帝国の支配下に入る 19世紀以降 ヨーロッパのユダヤ人がオスマン帝国領パレスチナに入植開始 1922年 国際連盟でイギリス委任統治領パレスチナの創設を決議 1947年 国連でパレスチナ分割決議を採択 1948年 イスラエル建国により第一次中東戦争が勃発。イスラエルはパレスチナの約8割を占領し多くのパレスチナ人が難民化する。 1956年 第二次中東戦争勃発(エジプトとイスラエル、イギリス、フランスがスエズ運河を巡って起こした戦争) 1967年 イスラエルとアラブ連合(エジプト、シリア、ヨルダン)の間で第三次中東戦争勃発。イスラエルがガザ地区、ヨルダン川西岸地区を占領。 1973年 イスラエルとエジプト、シリアなどの中東アラブ諸国との間で第四次中東戦争勃発 1987年 第一次インティファーダ 1993年 オスロ合意締結 1994年 パレスチナの西岸・ガザ地域での暫定自治を樹立 2000年 第二次インティファーダ勃発 2006年 パレスチナで行われた自治政府の立法議会選挙でハマスが勝利
イスラエルによるガザ侵攻2008年 イスラエルによるガザ空爆・地上侵攻 2014年 イスラエルによるガザ侵攻。死者は2,200名以上に上り、第4次中東戦争以来最大となる 2018年 米トランプ大統領が大使館をエルサレムに移動と声明 2019年 1月 パレスチナ自治政府の首相が辞意。ハマスとの和解停滞 4月 イスラエル再選挙。連立与党を形成できず組閣失敗、9月再選挙へ 9月 イスラエル再選挙。連立与党を形成できず組閣失敗、翌3月再選挙へ 11月 イスラエルがイスラーム聖戦の幹部を暗殺したことを契機に、ガザ地区とイスラエルの間でロケット弾と空爆応酬。治安悪化。 2020年 1月 アメリカが西アジア計画として『世紀の取引』を発表 再々選挙の結果、イスラエルでリクード党と青と白党の連立内閣が発足。7月以降に西岸地区の約30%を併合する「西岸併合」案を提出すると発表。 8月 イスラエルとUAEが国交正常化。9月にはバハレーン、10月にはスーダン、12月にはモロッコもイスラエルと国交正常化。 2021年 パレスチナで15年ぶりとなる自治評議会選挙及び議長選挙の実施予定。